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転職をポジティブに捉える方がみんながハッピーになれる
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- ジャバ・ザ・ハットリ
海外に出て働き出した時に分かったのは、そこは誰もが気軽に転職する転職社会ということだった。自由に転職する社会の方がみんながハッピーになれる、と感じた。
日本に居た時はそんなに転職に熱心ではなかった。でも海外に出てからは現地の習慣に従って転職するようにしよう、と無理矢理でも転職を繰り返した。海外転職回数はかなりの数になった。最初は英語の面談も、しどろもどろだったのがやってると慣れる。
ある IT スタートアップに転職入社して最初の数週間が過ぎた時のことだった。同僚のひとりが私のデスクにやってきてこう言った。
「なー**って会社知ってる?実はさーあそこからオファーもらって来月からあっちに移るんだ。給料もまーまーいいし、最近投資ラウンドを終えたところで人材募集してるんだ。よかったら一緒に来ない?」
これにはさすがにびっくりした。ほんの数週間前に私との転職面談でそいつは現職の素晴らしさを訴えて「ぜひ一緒に働こう!」と言ったばかりなのに、次は「別の会社に行こうよ」と。あまりにもノリが軽すぎないか、とちょっとビビった。
とは言いつつ数ヶ月後に私も誘いにのってその会社に転職してしまったのだが。
とにかくグローバルスタンダードでは働く人の流動性が確保されている。もちろん誰もが転職できる分、レベルを満たしていない社員がクビになるのとセットだ。クビが無ければ人の空きが出ないし、どんなに素晴らしい人材でも空きの無いところには入れない。これらは表裏一体なのだ。
逆に日本の終身雇用を前提とした会社にはクビが無い。日本の雇用法でカッチリ守られた正社員は「あのオッサンは会社で何してるんだ?」みたいな状態でもクビにできない。
どちらの社会がハッピーなのか?と聞かれたら私は断然に流動性が高く、クビもあるが転職もできる社会、という意見だ。人が出たり入ったりする社会はストレスが溜まりにくいし、仕事の幸せの多くを体現している。まず仕事なんて色々やった方が楽しいし。
それに引き換え、日本の特に大企業の勤続30年とかの人の仕事のグチは一体なんなんだろう。
まず新卒で入った会社が一生居たい場所である確率なんて宝くじ以下。その人が悪い訳では決してない。何十年も同じ会社で同じことやってたら、飽きるのは当然だ。だからイヤになった時に社会全体としてより転職可能な状態を目指して欲しい。
よく雇用の流動性を唱えた際の反論として「これまでの年功序列や終身雇用が日本人を幸福にしてきたのだ。雇用破壊を許すな!雇用を守れ!」と言う人がいる。でもこれまで守られてきたのは一部の世代、しかも男性の正社員の雇用でしかない。正社員と非正規などという意味不明な待遇の違いで犠牲になった人達のことは考慮されていない。
さらに皮肉なことに雇用が守られてきたはずの人達がとびきりに不幸そうなのだ。人の人生を何十年も同じ会社に縛り付けるのはもう辞めにしてもいいはずだ。
「つらい仕事を頑張ってる人達を傷つけるな!」なんていうのも、そんなにキー!となって「つらい仕事!」なんて言うぐらいなら、一度冷静になって休むか仕事変えた方がよほどハッピーだろう。
海外の働き方にもいい部分と悪い部分とがある。さすがに10年以上も海外生活してると全てを手放しで「海外はいい!」なんて言う訳でもない。それぞれいろいろある。
ただ雇用の流動性は人生幸福度に影響するのでしっかり日本でも叶えて欲しい。
最先端のイケてる人達は「遊ぶように働く」とかばかりを発信する。それもいいけど、日本の旧態依然とした雇用習慣の問題を無視することはできない。それらは何年経ってもグローバルスタンダードとかけ離れたまま、今でもしっかり続いているのだから。これはしぶとい。放っておくといつまでも続く。
この不幸の連鎖を断ち切るには経営者や政治家に頼るだけではなく、全ての人ひとりひとりが転職をポジティブにとらえて、周りの人が転職する際にも後押しすること。
「(冷めた目で)えーまた仕事変えたの?」ではなく
「(目をキラキラさせて)えっ!また仕事変えたの!君ってサイコーだよね!」と。
仕事を変えてみる、新しい可能性にチャレンジする、別の場所に行ってみる、これらは全ていいことなんだし。
別に仕事を変えたくない人に「変えろ」と言うつもりはない。ただ硬直した日本の労働環境では仕事を変えたい人まで変えられなくなってストレスをかかえている。そんな楽しくなさそうな社会が少しでもハッピーになればと願っている。