ジャバ・ザ・ハットリ
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成功には運か努力かどっちがいるの?を科学的に解説したビデオが面白い

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    ジャバ・ザ・ハットリ

科学系 YouTube チャネルのVeritasiumが好きでよく観ている。内容は科学、物理、数学などが多いのだが、「成功には運か努力かどっちがいるの?」という科学らしからぬ、いかにも自己啓発な感じのタイトルがあって「んん?」と思った。

観てみるとアプローチが科学的で妙に納得できて、かつ有益だったので意訳した。

元ネタの YouTube ビデオ


YouTube ビデオの意訳>>>

複数人で書かれた論文のそれぞれの作者に「あなたが書いた割合はどのぐらいですか?」と質問して、その答えの%を全部足すと平均して140%になる。

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同居しているカップルに「家事の分担はどのぐらいの割合でやってますか?」と聞いて、2人の答えを足すといつも100%を超える。

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人は誰でも自分のことを過大評価し、他人のことを過小評価してしまう。この傾向が「幸運と努力の認識」に影響する。

プロのアイスホッケープレーヤーを観てみましょう。

プロの NHL プレイヤーに「どうやって NHL に入ったの?」と聞けば、おそらく「練習に次ぐ練習のハードワーク」「いいコーチ」「小さいころに両親が朝5時に起きてスケートリンクに連れていってくれたこと」などを言うでしょう。

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でも彼らの認識の中に「1月生まれだったことによる幸運」を話す人はいない。

40%のプロのアイスホッケー選手は学年度の最初の3ヶ月以内が誕生日の人達。最後の3ヶ月が誕生日の選手はわずかに10%だけ。学年度の最初の3ヶ月以内に生まれることはすなわち4倍もプロになれるチャンスが増す。

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少年少女のアイスホッケーリーグは1月が年度初めになる。したがって1,2,3月生まれの子供は同じ学年の他の子供に比べて体がその分だけ早く大きく成長している。大人になればそんな差はほぼ無くなる。でも実際には幼少の頃のその差による影響はずっと続く。

少年少女時代に大きな体格を生かして有利な位置についておくことはそのまま練習量、いいコーチにつくこと、技術を有利に学ぶこと、へのいいサイクルに入る。それらの少しの有利さは年を重ねるにつれて大きくなり、やがてはプロへの道につながる。

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したがって誕生日がとても重要になる。じゃあ、プロ選手は自分の誕生日に感謝の言葉をささげるかって?きっとそれは無い。

私たちの成功はほぼ幸運によって成り立っている。きれいな水や安全な住居と食料が確保された国に生まれることはとても幸運なこと。もしあなたがアフリカのブルンジ共和国に生まれたとしたらどうだろう。そこは世界でもっとも一人あたり GCP が低い国のひとつ。平均して年間 261 ドル。そこではあなたがどんなに賢いか、どんなにハードワークをしたか、なんてほぼ関係ない。国全体が貧困にあえいでいるのだから。

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ほとんどの人は「あなたの成功は幸運によるものです」なんて言われたら憤慨するでしょう。

現実的には幸運も努力もどちらも必要。

これは100m走や幅跳び、ハードル走などの世界記録。こんなワールドクラスの記録を叩き出すには才能はもちろん、とてつもない努力を必要とする。

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ただこれらの世界記録の中の8つのうち7つがその競技をしている時、競技場には選手の背中側から前向きに追い風が吹いていた。

もちろん選手の努力は認めるものの世界記録を出すにはその競技の時にちょうど追い風が吹くという幸運も必要なことを示している。

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最新の NASA の宇宙飛行士試験では候補者は 18300 人いた。厳しいトレーニングと選考の結果、宇宙飛行士に選ばれたのはわずか11人。そこで宇宙飛行士選定試験の数理モデルを作ってみる。

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宇宙飛行士の選考基準として「スキル」と「幸運」の2つを考える。

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それぞれの候補者にランダムに数値を割り振ってスキルスコアを1 − 100の間でつける。また別に幸運スコアもランダムに割り振って1 − 100の間でつける。 スキルスコアに95%、幸運スコアに5%をかけて足した数をその候補者の総合スコアとする。候補者達のスコアを上から並べてトップ11人が宇宙飛行士になる。

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このシュミレーションを1000回繰り返す。そこでわかったのは宇宙飛行士に選出された人達の幸運スコアの平均は 94.7%にもなる。つまり彼らはとってもラッキーな人達といえる。

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候補者のスキルだけでトップ11に入れた人が11人中、平均して 1.6 人しか居ない。つまり幸運を5%しか考慮しなかったとしても 11 人中 9.4 人は幸運が無ければ選ばれて居なかったことになる。

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努力は必要でもそれだけでは無理になる。

しかしこの幸運を無視することにはメリットがある。無視することで社会の中で自分の立ち位置が確保できる。

もしあたたがいい仕事や収入、成功があれってその幸運を無視すれば、あなたの賢さや努力を誇示できる。それはそのまま不平等を受け入れやすくする。「オレは努力した。すごいんだぞ!」と。

ある研究で被験者に3人それぞれの部屋に入ってもらって、議論をしてもらう。それぞれのグループにはランダムでチームリーダーを設定する。

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議論の後にクッキーをひとつの部屋に4つ差し入れする。誰があまったクッキーを食べるか?って。ほとんどがチームリーダーが食べる。

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ランダムに選ばれただけのリーダー。特に理由や能力、責任があったわけはない。ただその役割を与えただけで、人はそれに値すると思い込む。

ビジネスリーダーや政治家などの「リーダー」と呼ばれる人を考えてみよう。

ほとんどは才能があったり、ハードワークをこなしてきただろう。ただそれと同時に幸運だったはず。でも彼らのほとんどは「どんなにラッキーだったか」に気が付いていない。

全てのリーダーは生存者バイアスがあって「オレがすごい努力して成功したんだ」と考える。彼らの目には世界は公平にしかみえない。努力してきたから、「努力すれば成功する」と信じきっている。ちょっとした運がなくて失敗した、という経験が欠落している。

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幸運であることを理解するメリットは、その方が人に優しくなれる。

起業家のニセの経歴書を使った実験。その経歴書にはある人物がテック企業を創業し、成功するまでの経歴が書かれている。2つのバージョンを用意して、本文は全て同じで最後のパラグラフだけが異なる。ひとつは最後のパラグラフで成功の理由を「努力の結果」と書かれたもの。もうひとつは成功の理由として「努力と共に幸運が作用した」と書かれたもの。

幸運バージョンを読んだ人はその創業者に好感を持ち、できれば友達になりたいと答える比率がもう一方よりも高かった。

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私達がやるべき方針ははっきりしている。

自分のことを考えて実行する時、幸運のことなど考えてはいけない。あなたの人生はあなた自身が切り開くのだし、しっかりハードワークしてがんばるべし。幸運なんかに期待してはいけない。

ただもし成功した時、必ずそこに幸運があったことを忘れてはいけない。

->>>>意訳終わり

このビデオを観てとにかく目の前にある幸運を改めて認識した。

私にはそんな大それた成功がある訳でもない。それでも充実した仕事と家庭があること。これらは幸運なくしてありえなかった。

例えば英語能力の習得にしてもやたらと勉強の必要性を煽ったりしがちだが、実際には幸運がかなりあったのを感じる。

それともっとテクノロジーを使えばたまたま幸運に巡り合わなかった人がよりハッピーになれることがあるんじゃないか、と考えるようになった。

たったひとつの YouTube ビデオではあるが世の中をより良くするパワーを秘めているように感じた。



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