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外国語で暮らすなら不幸な出来事の際に言うことも準備しておくこと。でないと人を傷つけることすらある
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- ジャバ・ザ・ハットリ
同僚のお母さんが亡くなった。以前から彼のお母さんの話は聞いていて、体調が良くなかったことや彼にとってどれほど大切な人だったのかは知らされていた。なのでしばらく Discord で英語で話をした。私にできることなんてなにも無いのだが、せめて話しぐらいはと思ってしばらく話した。
こんな経験は 2 度目のことだった。1 度目はシンガポールに居た時、同僚のお子さんが交通事故にあった。幸い怪我で済んで命は助かったものの同僚はとても動揺していた。そんな話を聞かされて、何か言うべきだったのにほとんど何も言えなかった。そんな時に英語でなんて言えばいいのか分からなくて、全く言葉が出てこなかった。
その同僚とは会社の中でもかなり親しくしていて、お子さんが突然にそんな目に遭って痛いほどその苦しみが分かるし、もう少しマシな言葉でもかけたかった。医者でもない私にできることなんてほとんど無い。それでも言葉ぐらいはかけられたはず。でも目の前で苦しんでる人が居るのになんの言葉もかけられなかったことをひどく反省した。
会社ではずっと英語で仕事をしていたし、コードのことや仕事内容、ランチの時の会話ぐらいなら英語に問題は無かった。ただそんな風にとても不幸な場面に遭遇した人と話す機会なんて無かったし、イキナリのことで言葉が浮かばず何も言えなくなった。
そんなことがあった後、ずっと映画なんかを調べまくって登場人物が映画の中で死んだり、大変なことがあった時に英語でなんて言ってるのかを聴きまくった。映画なので脚本家が泣かせる目的でセリフを書いたりしてるし、すごい感傷的な表現に感じた。それでもいくつかの英語の言い方とパターンを頭に叩き込んで密かに復唱して練習したりもした。
きっとこのブログを読んですごい変に思われるかもしれない。「それってつまり次に身の回りで人が不幸になった時の準備をしてるってこと?おかしくない?」と。
もし自由に操れる日本語や母語で生活していたら、そんなことする必要はない。でも外国で外国語で暮らしていると、そんな場面で言葉の失敗をして、単なる言葉の失敗だけでは終わらず時には人の心も傷つけしまうこともある。そんな経験をすれば準備をせずにはいられなくなる。緊張するような場面ではしっかり準備しておかないと、外国語では即興で言葉がスラスラ出てこない。
そんな場面で「思いさえあれば通じる」なんて甘い理屈では済まされない。そういう変な理屈を持ち出すのは、きっと緊張する場面で外国語で手痛い失敗をした経験が無い人だろう。自分の前で目に涙を浮かべて苦しんでいる人をただ黙って見ているだけ、なんて経験をしてみれば言葉の準備がどれほど大切か、が分かる。
結局、外国語で話すとなると準備こそが全てになる。準備ができないと話せる訳がない。人に話せないことは思いを伝えられないことになり、時には深刻な問題になる。そういうのを本当に避けたかったら語学の勉強はもちろんのこと、そんな場面を想定してかけるべき言葉を考えて練習しておかなくてはいけない。私はこれを遊びとか冗談ではなく真剣にやっている。外国語で生活をするってのはそういうことなんだと思う。