ジャバ・ザ・ハットリ
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人種差別問題を海外での実生活から考えることで得られる合理性

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人種差別問題を海外での実生活を元に考え直すことで「なぜその問題に対処しなければならないのか?」について極めて合理的な理由が見つかりますよ、という話。

まず最初に人種差別に対す考え方としてそれは許されないことでこの世から根絶するべき。
海外移住に関することをブログで発信していることから度々、質問をお受けするのが「ヨーロッパで人種差別的な待遇に合いましたか?」という内容。最初にハッキリ言っておくと私個人としてはそんな目に会ったことは無い。「ヨーロッパでこんな差別に会いました!」みたいな内容を期待されていたら、それはこの記事の主旨と違うと言っておく。

  1. IT 業界で人種差別が無いのは経済合理性
  2. 人物画から感じる違和感は普遍的
  3. 結局カモられる差別主義者
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1)IT 業界で人種差別が無いのは経済合理性

人種差別はやめましょう、多様性を確保しましょう、とアナウンスすればするほど「またポリコレ。いっつもうるせーな」「なにカッコつけてポリコレ気取ってんだよ」という文句がでる。こうした文句はその合理性に関する視点がないのでは、と思う。

アップルの CEO がトランプ政権の移民政策に反対を表明した。またトランプ大統領の講演会に使う音楽をめぐって有名ミュージシャン達が次々に使用を拒否している。どちらも理由は単純でそれぞれの支持母体が異なるからだ。

トランプ大統領にとっての支持母体はアメリカ国内の保守派でざっくり2億人ぐらい。それに対して世界的に有名なミュージシャンは全世界70億人の人種国籍に関わらない人達を対象にしている。今やどんな辺境の地でも Spotify で音楽を聞くのが当たり前になっている。 例えばテイラー・スウィフトやローリング・ストーンズにしてみれは当然ながらそのファンは全世界にまたがる。するとトランプ大統領のような国内の特定の層を優遇しようとする政治家に肩入れするのは、ざっくり言って顧客基盤が70億から2億になるぐらいの強烈なダメージでそんなことする理由が無い。

アップル製品の顧客も同様に全世界にまたがり、もはやアメリカ企業とかアメリカのための会社なんて言葉はふさわしくない。全世界マーケットを対象に巨大ビジネスをしかけるアップルの CEO にとっては全ての人種国籍に同じアプローチを取ることがなによりも重要になっている。

同じ発想が顧客に対してだけでなく、共に働く従業員についても言える。特に IT 業界では従業員も多国籍なのが標準。

現在私が勤めているベルリンの IT スタートアップのエンジニアチームは最小単位でも、イギリス人、イタリア人、ブラジル人、アルメニア人、ロシア人、コロンビア人、アメリカ人、日本人(私)が居る。同じ国籍のメンバーはひとりも居ない。これが標準的なベルリンの IT 企業の人材構成だ。

そうして世界中から有能な人材を引っ張ってくる組織でなければ IT 業界の熾烈な競争に勝てない。仮に差別的な会社があったとして「我が社は**人だけ採用して**人だけのチームにするのだ」なんてやってたら人材を採用する分母が狭まり、人材レベルは確実に落ちるし、同質化して多様性が無く、クリエイティビティも落ちて、放っといてもそんな会社は死んでいくだろう。

多国籍な環境に居れば毎日、一緒にコードレビューして苦楽を共にしてリリース時には一緒にお祝いをする中でいちいち人種国籍なんて気にしてられないし、やっぱり同志として心のつながりが出てくる。まともな神経してたらそんなよく知ってる人を傷つけるようなことはしない。

インターネットが国境を超えて繋がり、好むと好まざるとにかかわらずほぼ全ての人材と会社がグローバルマーケットでの戦いを強いられている今では人種差別ほど非合理的で損な役回りは無い。

このことから「なにポリコレ気取ってカッコつけてんだよ」みたいな批判がとても的外れなことが分かる。ポリコレは気取っているのではなく、単に合理的な戦略なのだ。

2)人物画から感じる違和感は普遍的

大坂なおみ選手を描いた日清食品のアニメ CM が白人化していて問題になった。

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(左の女が大坂選手という設定らしいが、どう見てもただのオバハン)

NY タイムズ、大坂なおみ「アニメ CM」を批判 日清に取材すると「公開停止へ」

このアニメに対する批判はまっとうなモノだし、2度と繰り返して欲しくはない。あれだけ批判コメントが殺到した中でまたこの記事でも同じ批判をする必要はもうないだろう。

ここではその批判の前にあった違和感について。

これからの時代のクリエイターにはそれぞれの人種に対する適切な感覚は必須になってますよ、と言いたい。

例えば日本のことをあまりよく分かってない映像作家が、日本の風景や日本をモチーフにした作品を作りました、と。観てみるとテキトーに寺やサムライをつなぎ合わせた映像で、当の日本人としてはそれを観て「なんか変」と思うことがある。「なにこれ?こんな日本はどこにもないし」と映像を観て思った経験は誰にでもあるのでは。 日本で生まれて育って空気のように日本の風景を吸収している人にとって「おかしな日本風」はとにかく変にしか見えないし違和感が先に来て作品に集中できなくなる。

これと同じことがあの大坂選手のアニメにはあった。差別どうこう以前に絵が「大坂選手に見えないし。それただのオバハンや!」と。

外国映画やネットフリックスのドラマでしょっちゅういろんな人種の登場人物を観ている人なら同じように感じたはずだ。私はずっと職場でいろんな人種と直接会って会話しているので、褐色の肌の光り方や金髪の髪の色、青い目の人が笑った時の表情なんかをずっと間近で見てきている。

するとそうした異人種と日常的に接点の無い日本人アニメーターが描く金髪の描き方や褐色の肌の描き方に「変だな」と感じることがよくある。

そんな細かいこと、って思うかもしれないが日本人がおかしな日本の風景に「うーん。変」となる気持ちが避けられないのと同じ。人間というのは毎日毎日誰かに会って話してるから、人物を描いた絵が変だとすごい変に感じるのだ。

実物を見たことない珍しい野生動物とかエイリアンだったら、まだごまかしが効く。でも褐色の肌の人とか金髪の人って日常レベルで毎日見てる人とか鏡の向こうがそんな人ってのがたくさん居て、そうした人にとっては違和感がバリバリにある。

グローバル化した世の中で「他人種だからよく知りませんでした」ではもう単にクリエイターとしての能力が無い人と見なされる。なのでクリエイターはできるだけ異人種と接する機会を作ってみてはいかがだろうか。

作品をグローバルマーケットで売るためには必須のことだと思う。

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引用 Nike football

各国のスター選手がスグに分かる

3)結局カモられる差別主義者

差別主義者の主張は「特別な俺達の権利」を主張しているように見える。しかし皮肉なことに「特別な俺達の権利」を主張すればするほどカモられる構造がある。

私がシンガポールに住んでいた時に勤めていたアメリカ系の IT 企業である日、HR 担当の A 嬢に「日本市場について相談に乗って欲しい」とその時社内にいた唯一の日本人の私に声がかかった。

A 嬢の相談内容はこんな感じだった。

次に予定している日本営業支社設立にあたって営業チームの人材募集するために人事コンサルタントと契約しようと思っている。昨日、その人事コンサルタントと面談したが、そいつの話の信憑性を確認したい。そのコンサルタントはアメリカ人で彼いわく「俺は日本市場に関してアメリカ No.1 に詳しい」と。でも彼の提示した戦略がちょっと変わっている。

コンサルタントの提示した戦略 『まず人事データベースから非体育会系の候補を抽出して、そこを重点的に狙いましょう。非体育会系とはつまり日本の大学なんかにある運動部に所属していなかった人材層です。おかしく聞こえるかもしれませんが、日本の大企業では信じられないぐらいに元運動部所属が優遇されています。日本の運動部は軍隊的な習慣が根強くあって、そうした人材は上司の命令には絶対服従で扱いやすくイチからそうしたカルチャーを教える必要がないから優遇されているのです。 御社が狙うべきはポテンシャルが高く能力があるのに非運動部であるだけで、そこからこぼれてしまっているような人材。そこにターゲットを絞れば完璧ですよ』と。

これを聞いた A 嬢は目の前のアメリカ人コンサルタントが本当に日本市場を理解しているのかどうか疑わしい、と思ったようだ。グローバルスタンダードが骨の髄まで染み付いた A 嬢にとって、そんな変な発想の日本企業がいまだに存在するのか、そんな変な仮説に乗って大丈夫なのか?ということらしかった。

そこで私は「そいつの言ってることは一理あるし、うまくいきそうな気がする」と答えた。

おそらくそのコンサルタントは同じ話を他でもやって同じ戦略で稼いでいるのだろう。トコトンまで仕事の遂行能力だけを見極めて人材を募集するというのはグローバル市場では当たり前のことだ。そこから遺脱した基準を持つ日本の会社がそんなコンサルタントにバカにされるようにカモられるのは日本企業にとっていい話ではない。でもそれが現実なのだ。

実際に私は HR 担当の A 嬢に「いける」と進言して結果的には日本支店を任せるに相応しい人材のスカウトに成功し 20 名ほどの営業チームができた。直接会ったことは無いが、幹部候補となったそのチームのリーダーは戦略コンサルで働いていたとても優秀な日系アメリカ人女性を引き抜いたと聞いた。いかにも日本の大企業が取りこぼしている人材だろうと感じた。

運動部を優遇して人材採用する会社の方針が人種差別にあたる、とまでは言わない。それがもし性別や宗教、人種を人材採用基準に入れたら大きな問題だが運動部はそこまでではない。それでもそんなしょーもない基準を取り入れている企業が結局はカモられている、という現実がある。

この例のみならず結果的にカモられるのは差別主義者である。

まとめ

確かに私もアメリカをはじめとする極端なポリコレの強要にはうんざりすることもある。ただポリコレやグローバルスタンダードは合理的に勝つためにあるもの。情報が世界の隅々まで届く現代において、こうしたグローバルスタンダードが加速することはあっても減衰することはない。

ひとりひとりにできることは感情に流されずにそこで起きている出来事を合理的に理解することだと考えている。

そして最後にこれだけは言える。人種差別に合理性は無い。

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