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かっこいい大人にはほど遠いがそれでいいのダ
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- ジャバ・ザ・ハットリ
もう大人というかオッサンというか加齢臭が漂う年齢になってしまった。昔に考えていた「かっこいい大人」と現在の実態との差について考えたが1周回って、それでいいのダと思うに至った経緯。
まず昔イメージしていたかっこいい大人について
こういうの
マンガは読んだことないけど、なんか部下とかの相談にのって的確なアドバイスする人。
若い頃は「いづれはオレも人生経験を積んで多少のことではあたふたしなくなるだろう。経験ってもんがあるから、若造とは違う。孔子さんも言ってるように『30にして立ち、40にして惑わず、50にして天命を知る。』ってねー」と。
これ、ただの幻想でした。
人生はいつだって分からないことだらけ。青天の霹靂(へきれき)の連発。仕事も家庭も。
いい年になったら、いわゆる賢い人は会社勤めでもある程度の役職について、上記のマンガの男みたいな感じになっているのだろう。
ところがこちらはいい年して突然に外国の日本人の居ないスタートアップに入って、よく分からんとこからの再スタート。ご家庭の方も子供はよく分からん外国のこれまたよく分からん外国の学校に行かされたり。
もし海外で働くとかスタートアップで働く、海外で暮らす、などのキーワードに反応する方がいれば「それ、まーまーカッコ悪いことになりますよ」と言ってあげたい。「え?知らんかった!」「ちょっと教えて」の連続になる。
刺激的でおもしろいけど、孔子さんの「惑わず」とか「天命を知る」とかの達観した概念はゼロ。
人にエラそーにアドバイスなんてしてる暇があれば自分のこと考えるわ!の状態がずっと続く。
でも、そんな達観したようなかっこいい大人になってしまうってことは未知の世界へ突進していく機会が減ったってことだろう。当然ながら行動範囲を限定した方がその分野内では賢くなるし、周りの人にも尊敬されやすい。
そういう守備範囲を限定したやり方ではおもしろないなーと考えて「素人扱いでも OK だから新しいことやらしてよ」という選択にいたったのです。だからカッコ悪いけどこれでいいのダ、と。